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主権を取り戻して、自分の人生を生きる

enews1023 / Pixabay

人生について考えることはありますか?持って生まれた自分の役割について考えることはありますか?それともただただ流されるままに生きていますか?

どんな人間にも、持って生まれた役割があります。その役割を果たしながら淡々と生きることが、人生だと思います。

昨日の呼吸講座で、余談として、いまみんな草取りに忙しいので〜というお話から、雑草として嫌われているであろう「スギナ」の話になりました。

人間が、勝手な都合で決めている「雑草」であるスギナだって、とっても重要な役割がありますよ。なぜなら、スギナは、酸性に傾く土壌を中和する役目があるのですから。

日本は、酸性の雨が降るのでどうしても土が酸性に傾きます。土壌の酸性を吸い取って中和する役目のある「スギナ」は、他の芽を抑えて、優勢になって、生えてくるんです。人間に嫌われていても彼らはその場で、淡々と役割を果たしているだけのこと。

スギナにだって、重要な役目があるのですから、どんな人間だって、役目があっておかしくありませんよね。例えが極端ですか?いえ、私はそんなことは無いと思います。

 

人間界はアベコベですから、例えば、TVに出ている芸能人や役人だけが役割があると思ったりしていませんか?カルマ的に言えば、芸能界は深い闇の過去性もありますし、批判になってしまいますが、全ての役人が、役人としての真っ当な役割を果たしているかどうかは疑問に感じます。

そんな目に見える、派手な役割なんてものは、魂レベルでいえば、どうでもよいレベルです。カルマの解消に過ぎません。

勘違いしてはいけません。派手な役割は必要ありません。私たちそれぞれが果たすべき役割は、自分自身を知って、主権を取り戻して自分軸で生きる。それだけでいいのです。

 

でも、そんなことは、学校でも殆どの家庭でも教わりません。いかに、周りに合わせるか、既存の社会のルールに沿って生きるか、自分らしさ?そんな金にならないものは必要ない。といった感じに。。。

 

自分らしさに、現代人が氣づくためには、眠っている、眠らされている魂や心を起こす必要があります。目を覚ます必要があります。私は目をみれば魂が眠っているかどうは分かりますが、この社会において、会う人会う人に向かって「眠ってますね?」などとは、私は言えませんし、聞かれてもいないのに、言う必要はないと思っているので黙っています。

目を覚ましたい人は、自ら禮楽氣療の門を叩いてくるのです。人にはそれぞれタイミングがあると思います。

 

あなたは、自分の人生を生きていますか?

他人の人生を生きていませんか?

第3チャクラが弱いと、主権を明け渡し、他人の人生を生きるようになります。親の敷いたレールが、必ずしも自分の人生とは限らないし、相手の男性、または女性が正しいとも限らない、周りが良いと思っていることを自分は嫌なのに、やってしまったりと、どんどん軸が弱くなります。

また、幼少期に形成されるはずの第3チャクラですが、その当時に寂しさやトラウマになるようなことがあると、チャクラは傷つき詰まり、大人になってもバランスを崩したままになります。

自分の意見を言えない、自分に自信がないなどの症状や、胃腸が弱くなったりもします。(他にも目に見える症状はたくさんあります。)

他人に褒められることや、他人に認められることだけに意識を置いていると、自分の心を忘れてしまいます。基準がいつも他人なのですから、それは当然のことです。自分の心を忘れてしまうと、目が眠っているようになるのです。起きてるけれど、眠っているのです。

でも眠りたくなる気持ちは、分かります。なぜなら眠っている世界で起きているのは、実はとても生きにくいものですから。ロボットのように、誰かが作った基準に従順に生きていると、その「誰か基準」を否定されると自分が無くなってしまいます。だから、起きている人間への攻撃が始まります。みんな自分が無くなるのが怖いのです。それがたとえ他人基準で生きている本当の自分ではないとしても、です。

 

また、その恐怖心(怒りも含む)に打ち勝つには、「無条件の愛」しかありません。無条件の愛はどこにあるのか?それは人間の領域ではなく、自然、宇宙、の領域にありますので、その自然や宇宙のエネルギーを人間界に降ろしてくると、その恐怖心を消し去ることが出来ます。

たとえば、ヒーラーとして役目を担った人の目指すところですが、直接や遠隔ヒーリングをすることだけではなく、ヒーラーが24時間そのエネルギーとひびき合いながら生きることでもそれが可能になります。(目を覚まして、常に本来の自分で生きると言うこと)そういった人間になれたら、生きているだけで、地域や社会を変えるエネルギーを自然と放出して、全てに癒しが起きてきます。

 

話は変わりますが、今、北海道は運動会シーズンですが、私は運動会が大嫌いでした。なぜなら、なぜ友人たちと競わなければいけないのか、意味が分からなかったわけです。勝った、負けた?勝ったから偉いの?負けたから悪いの?なぜ、そんなくだらないことで競う必要があるの?そうやって競争意識を持たせるのが、目的なのでしょうが、無邪気な子供心に、大人たちはなんて悪魔的なことを教え混むのだろう。。とその先の自分が出て行くであろう、大人の世界に地獄絵図を想像したものでした。そういった事がらからも自分の主権や軸はどんどん弱くなってしまうのです。

この社会はトラップだらけ?です。

でも否定だけをしていても始まらないので、トラップと知って、沿っていくだけでもまずは良いと思います。そのうち、そのトラップは、自分の心の反映だと言うことが見えてきますので。

そこまできたら、もうあと一歩。

 

 

今日も良い一日をお過ごしくださいませ。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

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