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生きることは借りること

Andy_Bay / Pixabay

6月に入り益々、時が経つのが早い今日この頃です。どうやら年齢と共に早く感じる時間の感覚だけではなく、地球全体のスピードが上がっているようでもあります。なぜなら、若い人たちも早い!って言っていたから。(そこ?笑)

 

冗談はさておき、時間というのは、幻みたいなもので、楽しいことは時間が経つのが早いし、楽しくないことは、時間は遅く感じられる。同じ1時間でも、同じ一生でも、楽しく生きれば、あっという間に過ぎ去り、制限だらけで生きていたら、この苦痛は永遠に続くのかと苦悩するのでしょう。

「太く短く生きる。」生きる楽しみを人生の時間に目一杯詰め込んで、「じゃ!次の世界に行ってきます!」と言って、ささっと今生を卒業する。そこまでのことを思っていたかどうかは分かりませんが、有言実行した私の父の命日が今月あります。

私が、東京を出るきっかけになったことや、中富良野に移住したきっかけにもなっています。思い返せば、レイキの講師になったきっかけでもあるのでした。

すべての出来事は、青写真だったり、宇宙の完璧なタイミングでおきます。その時間軸は人間の念では、力及びません。海の潮の満ち引き、満月や新月によって地球や自然、はたまた人間の感情すらもその通りに動いていくのと何ら変わらず。死のタイミングすら完璧なのだと思います。

 

そんな人間には力及ばないこの地球上で「結局、生きるってなに?」と、儚い疑問を持ったとしても、その答えは人間には出せないのかもしれません。ましてこの作られた社会には答えはないでしょう。

答えは、「自然」という「地球の動き」、「星などの宇宙の動き」にあります。人間の頭でははるか及ばない壮大な答えがあるかもしれませんが、私たち人間がこの地球上で生きる意味を見出すには、「流れに沿う」しかありません。

沿うものは、社会のルールでもなく、エゴや自我からくる欲望の渦でもなく、

自然や地球や宇宙の流れ、それに沿うのです。

自然や地球や宇宙の流れについては、みんなそれぞれの魂が「魂の望み・喜び」として知っています。(無視して生きることが一般的になっている世の中だけど...)

そして、いつか私たちは、その全てを地球にお返しして、次の世界へ旅たつ時がきます。そう言った意味ではすべてが借り物です。

自分のものなんて、結局は一つもありません。所有欲を満たしてくれるものはこの世にたくさんありますが、そのどれも一緒に持ち出せないのです。今生を卒業するときは、全部置いてゆきます。この肉体さえも。

そう、この肉体さえも、借り物なのです。

誰かに借りたものは、ありがたく感謝して、大事に使ってお返ししますよね?(そうしない人もいるかも?。ごめんそれはもう論外。笑)

それと同じように、この肉体も日々感謝して借りて、いたわり、癒して、大切にして、綺麗なまま御返ししたいものです。その為には、日々を大切に生きる必要があります。瞬間瞬間を大切にして、「今に生きて」いると、自分を労わる気持ちも湧いてきて、同時にその労りは周りの人へも広がっていきます。

これはマインドフルネスやヴィパッサナーの瞑想で目指す境地でもあります。

自分を労れる人が、人を労わることが出来る。自分を癒せる人が人を癒せる。自分の心や身体のこと、病気や不調の原因に自覚のないまたは責任がないヒーラーとか、ありえないでしょう?苦笑

この社会でいう、金も名誉も成功も、物も土地も、そして、肉体も、更に言えば大切な人さえも、すべて置いて行くことになるのですから、

日々借りている全てのものに、感謝して大切に生きたいと思います。

生きることは借りること。

ちょっとオーバーな表現かもしれませんが、今日はこんなところで。

 

個人的なことを言えば、父が今生を卒業したタイミングは、ある宇宙のミッションタイミングと合致していて、数年ごとにそのタイミングで変化がおきます。最近、また始まった感が半端なくて、日々興味深い今日この頃。

日々、淡々と自分に与えられた役割に、出来る範囲で精一杯取り組み、不平不満を言わず、感謝して生きる。そうすると、あとは自動操縦。オートマチックライフ。

ま、時折、ご愛嬌程度に、不満も言いたくなりますけど。笑!

そんなときは、氣付きのレッスン。

人生は、氣づき学びの連続。

今日も一日よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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