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今日は時折風のある真っ直ぐな雨が降り続いている中富良野です。こういう雨の日は静かに仕事に集中出来るので好きです。

お天気が良いと、みんなザワザワとしていますので、共感者の私としては常にいろんな影響をモロに受けますので、しなくても良いことまでしてしまいがち。または、「それ今じゃなくても良いよね?」的なことまでフルスピードで行いがちに。。。

共感者とは、チャクラでいうと第四チャクラであるハートチャクラと関係がありますので、このチャクラが活性化しすぎていると、様々なエネルギーに影響されます。

人の感情はもちろんのこと、人の意識エネルギーや不調や思考までが見えて来ます。だから人嫌いの人が多いはず。もちろん私も自分のエネルギーのことを知り、ある程度コントロール出来るようになるまでは、人嫌いでした。

なぜ嫌いになるかというと、相手の考えていることや感じていることが「分かる」からです。顔は笑っていても心で怒っていたり、良い言葉を羅列していても中身は嘘ばっかりだったり、そういうことが「分かる」というのは、人間関係を構築するのは難しいものです。

とかく若い頃は、「妥協」や「許し」なんてものとは無縁でしょうから、良い意味でも良くない意味でも「大人」になってくると、少し生きやすくなることもあるでしょう。

相手の言っていることが、有言不実行、嘘、偽り、だったとしても「まぁ、そんなこともあるよね、所詮人間だし」と何処かで諦めのようなものを覚えて行くのかもしれません。苦笑

竹を割ったような性格である私は、この「諦め」を手にするまで時間がかかりましたが、今でも偽りを抱えた人間関係なら、そんなものいらん。と思っているのでした。笑

 

この共感力は、そのままだと非常に人間関係において生きにくいのですが、これをギフトに変えるには、カウンセリングやヒーリングの世界がとても良いです。悩み迷う人の心を読み取って、伝えて上げられるから。

だから、ヒーラーにはハートチャクラが開いている人が多く、無意識に自分が生きる場所を知っているのだと思います。

 

ただ、この共感力は、時に一緒に沈む船に乗り込んでしまうこともあるので氣をつけたいところ。

ハートチャクラを開いたり、閉じたりする方法を学ばなければ、相手の闇に飲まれる可能性があります。そんな時に大事になってくるのが、舵取りの役目をしている、第123のチャクラです。飲まれてしまっても大きな渦から抜け出すには、第1チャクラのパワーが必要なのです。(nuku-nuku氣療法は、その部分を特に強化・活性化します。)

 

また、日常において、共感者は、氣づいたら相手の人生を生きていた!なんてことにもなり兼ねないので、常に心のヴィパッサナーやマインドフルネスで生きることが必要になってきます。

 

相手の人生を生きる?? そんなことが本当に起きるの?なんて思うかもしれませんが、この世の中、思考も共有しています。エネルギーのことをお勉強していないと、全く信じられない世界かもしれませんが、講座ではこのことを例をとってわかりやすく説明しています。すると、え〜!!これもあれも〜!!なんて驚愕する方もいますが、いかに私たち人間が、人類皆兄弟の世界で生きているか納得していただけるようです。笑

思考の共有?冗談じゃない!なんて思うこともあるかもしれませんが、それは変えられない事実なので、良い方向に利用する方法を伝授します。考え方次第で物事は「陰陽」どちらにも動きます。全ては自分の意識次第ですから。

 

その思考や感情の共有は、人間だけじゃありませんよ。

うちには、アメリ(アメちゃん)という犬がいますが、これが犬らしくない犬で、アメちゃんを知っている人は、人間が中に入っている!と噂されるほど。笑

今時は、室内犬は特にだと思いますが、犬だって、思考も感情も豊か。後ろからなんだかそわそわしたエネルギーを感じるかと思えば、「ジーーーーーーーーっ」と念を送ってくるのが得意なアメちゃんです。外行きたい、とかなんかおやつくれ。ですけどね。

ある日のこと。無性に(この無性に、というのは他から飛んで来ているエネルギーが殆どですので覚えておいてください。必要だったら利用していこう)、白くて一口サイズのような肉?が食べたいような氣がしたんです。

無性に食欲が湧いて、スーパーに行き、その白くて一口サイズのような肉らしいものは一体なんだろう??と考えたら餃子か!!!と自分の食べたいものが分かった!!と嬉しくなって、みよしの餃子(北海道ご当地!)を買って帰り、作って食べたのですが、なんだか、まだ満たされない何かがあります。

んー??なんか変。お腹いっぱい。食べたかったもののはず。でも何かまだ食べたい。おかしい。おかしい。なんかおかしい。

ふと、アメリに目をやると、何かを訴えているような。。。

 

もしや????あめりの念か!?

 

考えてみると、アメちゃんに時々、鶏肉を買って小さく切って茹でてあげていた時期があり、最近それをあげていないことに氣づきました。(アメリが好きなもの)

確かめるために、もう一度スーパーへ行ってアメリ用の鶏肉を買い、茹でてあげてみたところ、私の中にあった白い小さな肉?食べたいと思っていた気持ちが全くなくなり、消え去りました。残ったのは、餃子を食べた後の行者ニンニクの香り。。。

要するに、私は別段食べたくなかったのですが、受け取ったしまった念を自分のものと感じ取ってしまい、結局満たされない思いはアメリのものだった。。。というオチというか検証結果。(振り返ると、ベジタリアンだった私がアメちゃんを飼うようになって、肉を料理するようになり、今では普通に。。それはそれでよしとしてるけど。。)

 

犬を例に出しましたが、これを私は、人の念でも何度も何度もやってしまっているのです。。。人生を無駄にしたとは思いませんが、共感者である自分を嫌になってしまう瞬間でもあります。。。(苦笑)送って来た念達者本人には、自覚はありませんし、まして自分の念(意識・思考も)が、周りの人にどれだけ影響を与えているか、そんなことは学校でも教わりませんから。。。

ちなみに、「念」は、相手を病気にしたりすることも可能です。肉体的な病気・怪我、心のうつ病なども可能です。

これって、もらった方だけ、損をする氣もするのですが、世界は因果応報ですから、昔のように敵討ちや仕返しなんて考える必要もなく、どこかからか、その人が発したエネルギーのお返しは、ちゃんとその人に多方面から自然に帰ってくるものです。

ですから、受けた念も感謝して、ギフトに変えちゃう方が、自己成長に繋がり、いつかそれが人の役にたちますから、大丈夫。

自分の人生が良いことが多いなら、過去にたくさん良い思考や感情や言葉のエネルギーや行動を発したものが、帰って来ただけ。

自分の人生が不運なら、過去に良くない思考や感情や言葉や行動が、帰って来ただけ。

 

さて、「自分の未来は、今この瞬間次第」あなたならどんな未来を選びますか?

 

締めがテーマとずれましたが、共感者だけに起きることではなく、

エネルギーの大小はあるけれど、共感力はみんなが持っています。

 

今日、アメちゃんに肉を買おうと思います。。

 

165106 / Pixabay

世の中、断捨離流行りではありますが(もう世の中の流行りは終わった?)、断捨離するべきは、「物」だけではないですよ。

昨日の主権を取り戻す、自分軸という話にも繋がりますが、スピードと情報過多の時代ですから、必要なものを必要なだけ、にしておかないと、やっぱり流されてしまいます。

必要なものを必要なだけ、その自分の分量を知るためにもやはり、自分軸がないと難しいですね。基準が他人にあっては、自分がどれだけ必要なのかを、自分を見て判断するのではなく、他人と比べて判断してしまうでしょうから。

情報といえば、若者者のSNS疲れ、とはよく言われますが、そろそろ大人だって疲れているのでは??

SNSは、いろんな人と繋がって楽しいですが、いいね!の数とか、友達何人?というのも本当は、みんな心の奥では、日常生活より大切だなんて思ってないと思うのですが、他人目線で生きてしまうと、いいね!がいっぱいついたから良いとか、フォロワーいっぱいいるから凄いってなってしまうかもしれません。(それ凄いの?ある意味凄いね)

SNSも良い方向へ使えれば良いですが、時間があれば開いてしまう麻薬のような作用がありますね。人間は刺激を求めるものです。動きのある変化というものは、自分の身に起きたり、目の前で起きるのは怖いのですが、スマホの中で起きることなら、興味があります。覗いてみたいんです。

それは、TVのゴシップニュースや週刊誌が好きな人の心理と同じです。自分の目の前の生活や人生に満足している人は、他人のゴシップなんて全く興味が出ません。ドラマにも別段興味を持ちません。なぜなら、自分の人生そのものがドラマですから、いつも自分が主人公のように繰り広げられる人生の方がよっぽどドラマティックで面白いんです。

でも、SNSは、人間の弱いところを上手に突いてきます。人間も動物も動きのあるものを追う性質(自分を守る行為)がありますので、「つい、見てしまうもの」なのです。そして時間を浪費します。また、「リア充」UPによって、競争意識にも火を付けてしまい、他人と比べることが始まります。

一つお勉強です。「人を羨ましいと思う気持ち」これは、「怒り」の分類ですので、お忘れなく。あの人は良いよね〜恵まれてるし〜?なんて思ってしまうのは、自分の生活において、大切に生きていない証拠で、感謝が足りない状態。心の中で「怒り」が湧いているのです。そうやって、お釈迦様が心を科学してくれています。

 

お話が飛びましたが、そのようなことを続けているとどうなるのか?というお話をエネルギー的に考えてみます。

 

そのように情報をin,in,in,in,in,in,in,in,in,in,〜〜〜〜としていると、

 

変な表現すみません(笑)、いわゆる外から入ってくる情報を入れるという意味です。それは、SNSだけじゃないですよね、垂れ流しのTVだったり、勝手に流れてるCMだったり、時間の無駄のネットサーフィンだったり、暇つぶしの動画だったり、噂話など、要するに「見たり、聞いたりするもののことです。」

 

それら全部、in,in,in,in,in,in,in,in,in,in,〜〜〜〜と、自分の中に入ってくるわけです。情報というエネルギーとして。家の中が物でいっぱい!!!と同じことで、脳が雑念だらけになります。そして、不浄も溜まります。

 

怖いことに、in,in,in,in,in,in,in,in,in,in,〜〜〜〜ばかりだと、

自分の創造性が奪われます。

私は、数秘術でいうと「3」を持っているのですが、3は、クリエイティブ、創造、というも意味がありますので大切にしています。だから、創造性・クリエイティビティが失われる!となると、怖いわ〜って感じます。笑

 

こういった文章を書くときにも、創造性は必要になってくるので、in,in,in,in,in,in,in,in,in,in,〜〜〜〜していると、生まれないんです。文章すらも。。

 

だから、という言う言い方も変かもしれませんが、自己表現をしたり、自分軸で生きるには、情報の断捨離も必要になってきます。(物の断捨離が既に終わっている人。まずは物からね。)

 

インプットばかりしていると、それは癖になるでしょうから、

アウトプットである、自己表現が難しくなると思います。

 

まずは、in,in,in,in,in,in,in,in,in,in,〜〜〜〜を控えることからやめてみましょう。

自分から、欲しい情報を取りに行くようにするのです。

正直にいうけれど、私なんて見た目は柔らかいようですが、中身はバッサリな人だから、FBなど、情報が殆どの誰のも上がってこないようになっています。酷い人でごめんね。(苦笑)

でもそれを酷い人と呼ぶのか、シンプルな生き方と呼ぶのか?

昔はさ、あの人どうしているかなぁ?って思って手紙書いたり、電話したり、自分から情報を摂取していたでしょう?それで良いじゃない。って思います。

必要な情報があったり、氣になる、事や人がいたときに、

「in」しようぜ。

 

 

食べ過ぎたら胃が満タンになるのと同じで、エネルギーを入れる器は、限りがあるのです。

 

不要なエネルギーでいっぱいにしないで、取捨選択しながら、in,in,〜

 

 

そして、アウトプットしながら自己表現していきましょう!!!

 

 

今日はこれから、法務局とか役所とか、お使いとか、行ってきます!!

皆様も良い一日を過ごしくださいませ♫

 

ありがとうございました。

 

 

enews1023 / Pixabay

人生について考えることはありますか?持って生まれた自分の役割について考えることはありますか?それともただただ流されるままに生きていますか?

どんな人間にも、持って生まれた役割があります。その役割を果たしながら淡々と生きることが、人生だと思います。

昨日の呼吸講座で、余談として、いまみんな草取りに忙しいので〜というお話から、雑草として嫌われているであろう「スギナ」の話になりました。

人間が、勝手な都合で決めている「雑草」であるスギナだって、とっても重要な役割がありますよ。なぜなら、スギナは、酸性に傾く土壌を中和する役目があるのですから。

日本は、酸性の雨が降るのでどうしても土が酸性に傾きます。土壌の酸性を吸い取って中和する役目のある「スギナ」は、他の芽を抑えて、優勢になって、生えてくるんです。人間に嫌われていても彼らはその場で、淡々と役割を果たしているだけのこと。

スギナにだって、重要な役目があるのですから、どんな人間だって、役目があっておかしくありませんよね。例えが極端ですか?いえ、私はそんなことは無いと思います。

 

人間界はアベコベですから、例えば、TVに出ている芸能人や役人だけが役割があると思ったりしていませんか?カルマ的に言えば、芸能界は深い闇の過去性もありますし、批判になってしまいますが、全ての役人が、役人としての真っ当な役割を果たしているかどうかは疑問に感じます。

そんな目に見える、派手な役割なんてものは、魂レベルでいえば、どうでもよいレベルです。カルマの解消に過ぎません。

勘違いしてはいけません。派手な役割は必要ありません。私たちそれぞれが果たすべき役割は、自分自身を知って、主権を取り戻して自分軸で生きる。それだけでいいのです。

 

でも、そんなことは、学校でも殆どの家庭でも教わりません。いかに、周りに合わせるか、既存の社会のルールに沿って生きるか、自分らしさ?そんな金にならないものは必要ない。といった感じに。。。

 

自分らしさに、現代人が氣づくためには、眠っている、眠らされている魂や心を起こす必要があります。目を覚ます必要があります。私は目をみれば魂が眠っているかどうは分かりますが、この社会において、会う人会う人に向かって「眠ってますね?」などとは、私は言えませんし、聞かれてもいないのに、言う必要はないと思っているので黙っています。

目を覚ましたい人は、自ら禮楽氣療の門を叩いてくるのです。人にはそれぞれタイミングがあると思います。

 

あなたは、自分の人生を生きていますか?

他人の人生を生きていませんか?

第3チャクラが弱いと、主権を明け渡し、他人の人生を生きるようになります。親の敷いたレールが、必ずしも自分の人生とは限らないし、相手の男性、または女性が正しいとも限らない、周りが良いと思っていることを自分は嫌なのに、やってしまったりと、どんどん軸が弱くなります。

また、幼少期に形成されるはずの第3チャクラですが、その当時に寂しさやトラウマになるようなことがあると、チャクラは傷つき詰まり、大人になってもバランスを崩したままになります。

自分の意見を言えない、自分に自信がないなどの症状や、胃腸が弱くなったりもします。(他にも目に見える症状はたくさんあります。)

他人に褒められることや、他人に認められることだけに意識を置いていると、自分の心を忘れてしまいます。基準がいつも他人なのですから、それは当然のことです。自分の心を忘れてしまうと、目が眠っているようになるのです。起きてるけれど、眠っているのです。

でも眠りたくなる気持ちは、分かります。なぜなら眠っている世界で起きているのは、実はとても生きにくいものですから。ロボットのように、誰かが作った基準に従順に生きていると、その「誰か基準」を否定されると自分が無くなってしまいます。だから、起きている人間への攻撃が始まります。みんな自分が無くなるのが怖いのです。それがたとえ他人基準で生きている本当の自分ではないとしても、です。

 

また、その恐怖心(怒りも含む)に打ち勝つには、「無条件の愛」しかありません。無条件の愛はどこにあるのか?それは人間の領域ではなく、自然、宇宙、の領域にありますので、その自然や宇宙のエネルギーを人間界に降ろしてくると、その恐怖心を消し去ることが出来ます。

たとえば、ヒーラーとして役目を担った人の目指すところですが、直接や遠隔ヒーリングをすることだけではなく、ヒーラーが24時間そのエネルギーとひびき合いながら生きることでもそれが可能になります。(目を覚まして、常に本来の自分で生きると言うこと)そういった人間になれたら、生きているだけで、地域や社会を変えるエネルギーを自然と放出して、全てに癒しが起きてきます。

 

話は変わりますが、今、北海道は運動会シーズンですが、私は運動会が大嫌いでした。なぜなら、なぜ友人たちと競わなければいけないのか、意味が分からなかったわけです。勝った、負けた?勝ったから偉いの?負けたから悪いの?なぜ、そんなくだらないことで競う必要があるの?そうやって競争意識を持たせるのが、目的なのでしょうが、無邪気な子供心に、大人たちはなんて悪魔的なことを教え混むのだろう。。とその先の自分が出て行くであろう、大人の世界に地獄絵図を想像したものでした。そういった事がらからも自分の主権や軸はどんどん弱くなってしまうのです。

この社会はトラップだらけ?です。

でも否定だけをしていても始まらないので、トラップと知って、沿っていくだけでもまずは良いと思います。そのうち、そのトラップは、自分の心の反映だと言うことが見えてきますので。

そこまできたら、もうあと一歩。

 

 

今日も良い一日をお過ごしくださいませ。

 

 

ありがとうございました。